お気に入り度 Released Mar 1992 |
ドラえもん映画でリアルタイムで見た映画の一つ。と言ってもアニメ映画は1,2回で漫画版を何回も見たという感じです。おかげで漫画版の方は今でも鮮明にストーリーを記憶していたり。なので、基本的に漫画版準拠で感想を述べていこうと思います。頭の中の記憶から思い出しながら書いてるので、色々いい加減かもしれない(苦笑)。
天国は実在すると信じるのび太。天国を見つけようと試行錯誤する中、ドラえもんが天国を探すより自分で作ってしまえば?と提案。そして自分たちの雲の王国を作り上げ、そこで雲の上に住む天上人という存在に出会う。その天上人は秘密裏に恐るべき計画を進めていた・・・!というストーリー。
始まりは従来のドラえもんっぽい展開なので、のほほんと見れます。いつもの5人が集まって雲の王国を作り上げるシーンなんて、本当に夢があって楽しそう。お城やテニスコート、野球場を作ったり、ゴーカートで雲の王国内を自由に移動したりと、「こんなこといいな、できたらいいな」を地で行く、子供が憧れるイベントでしょう。そしてハッピーな雰囲気はここを最後に見られなくなってしまいますw。
その後トラブルによって5人は散り散りになり、しずか・スネ夫・ジャイアングループとのび太・ドラえもんグループの2つに分かれてしまう。しかもドラえもんはトラブルの際に故障してしまいコミュニケーションがとれないという状況。これは絶望感ありました。他映画でも誰かがいないとか、別々に行動するというケースはありましたが、離れ離れになった上に頼りのドラえもんがダメになったため、のび太サイドの方は見ているこっちも心細い感じがありました。次作の「ブリキのラビリンス」ではドラえもん以外の4人で団結するというポジティブ要素がまだあった分余計に。だからなのか、今作ののび太は映画史上一頑張っているように思えました。ドラえもんを介護しながら道具も使えない状況ということもあり、ようやったとほめてあげたいくらい。
終盤くらいにドラえもんが故障から直って、少し安心感は出てくるのですが、そのあたりからラストまでもやっぱりヘビーな展開は続きます。人類滅亡の未来を見せつけられたり、雲の王国が崩壊したりと、どんよりした展開が目白押し。主題歌も悲しげメロディですし、これ本当に子供向け映画なのか疑問に思えてくるほど、湿っぽい話。そういう意味でドラえもん映画の中では、正直子供と一緒に見たくない映画ナンバー1。リアルタイムで見た人間が言うのもなんだけど、子供とか楽しく見れないんじゃないの、これ。
とまあ、映画全体の感想はここまでにして、今回主に述べたいのは、この天上人について。
地上人による環境破壊によって絶滅の危機に扮している天上人は、大洪水で地上文明を滅亡させようとしており、それを知ったドラえもんたちが食い止めようと奮闘するのが、話の根幹となっています。そういう訳で、この天上人は明確に悪だと言い切れない存在なのですが、その奮闘の結果、天上人とドラえもんたち両方とも大きな痛手を負うことになってしまいました。こうなってしまったのは、天上人と地上人(ドラえもんたち)お互いが無理解と偏見を抱えたまま、話が進んでしまったからだと思っています。
どちらの立場も仕方ないところはあるんですけどね。天上人からしてみれば、地上人は私利私欲のために動物を殺しまくり、環境汚染も辞さないというふるまいは、嫌悪感抱くには十分な理由でしょうし。天上界に伝わる神話もそんなストーリーですから。しかも環境破壊によって天上人の方が絶滅するかもという状況ですから、敵視されても仕方ないところはあります。
しかし地上人側からしてみれば、理屈で理解できても感情的には納得できないですよね。ドラえもんたちが最初に出会った天上人の男(グリオ)は、露骨に嫌な態度で接する上に、帰らせず閉じ込めようとするわ、他の天上人も発信器を付けさせて管理しようとするわで、天上人は上記の理由などによって、偏見や差別的な見方をしているせいか、地上人に対しては悪印象しかない態度をとっているんですよね。
それが如実に表れたのが、天上界の裁判シーンでしょう。しずか・スネ夫・ジャイアングループが、無理やり地上人代表として裁判に参加させられるのですが、そこでは天上人のいい大人が地上人の子供に対して、地上人の罪を突き付けて地上人を滅ぼせと断罪する、地獄のような光景がそこにはありました。そりゃジャイアンも「おれらを大悪人みたいに言いやがって」とキレるわ。
その後スネ夫が「知らず知らず僕たちは悪いことしていたんだと思う。けど人命は助かるとはいえ文明を滅ぼすなんてあんまりじゃないか」と言っても、天上人は「お前らの祖先はそんな文明無くても暮らしてたぞ」と答えるところなんて、天上人傲慢極まりなしという態度。そりゃジャイアンも「おれらはサルの生活に戻れって言うのか」とキレるわ。実際に文明滅ぼしてしまったら、現在の地球の人口なんてとてもカバーできなくなるので、北斗の拳よろしく地上人の死者が大量に出てきてしまうのですが・・・
その後しずか・スネ夫・ジャイアングループにずっと同行していた天上人の女(パルパル)が、裁判中に助け舟を出してくれたり、その後は態度が軟化していくようになりますが、これは裁判でのしずかの演説や3人とずっと同行していることで、地上人に対する偏見が薄れていったのが理由なのでしょう。ただ個人的には、何も知らない子供に対して正義の名のもとに一方的に責め立てる光景を見て、そんな天上人にドン引きしてしまったのが理由ではないかと思っています。裁判より前の場面で彼女自身カッとなって、天上界が汚れているのは地上人のせいだとしずか達に責めたことがあったが、すぐに「ごめんなさい、あなたたちがやったわけではないのにね」と反省してましたし。
そんな天上人が地上人に対する偏見や差別、敵意、自分たちが正義と疑わない態度が、ドラえもんたち地上人の反発を生むことになる。
偶然から人類滅亡の未来を目の当たりにしたドラえもん・のび太グループは、天上界を滅ぼす力がある雲もどしガスを交渉のカードとして、天上人に大洪水をやめさせようと画策する。もちろんドラえもんたちにとっては乱暴なやり方で本意ではないのですが、時間があまりない状況で相手の強大な力に対抗するには、もうこれしか残されていなかった。しずか・スネ夫・ジャイアングループと違って、天上人が大洪水を仕掛ける背景を知る場面がなかったですし、またそれを知ろうとするにはあまりにも時間がなかった。「力には力だ。天上人と同じくらい強くしないと相手にもされないだろ」のシーンは、そうせざるを得ない状況に対する、やりきれない気持ちが表現されています。
天上人も大洪水ではなくもっと穏当な手段であれば、ドラえもんたちもそんな乱暴な手段に出なくても良かったかもしれません。天上人が滅亡の危機感から打ち出した過激なやり方を見せた結果、それを見た地上人の対抗手段である雲もどしガスによって、今すぐにでも滅亡する可能性が出てきてしまったというのは、皮肉めいた結果です。ストーリー構成が似ている過去作の「竜の騎士」ではドラえもんはベストな解決法を模索・提示したというのに・・・その違いは、ドラえもんたちに対してどのように接してきたかの違いなんでしょうね。
その結果安全圏にいたはずの天上人は今までの傲慢さや強気な部分が無くなって、慌てふためいている様は正直スカッとする部分でもあったw。しかし、強大な力がある雲もどしガスを持つドラえもんたちにも、同じく皮肉めいた結果に陥ることになります。
一応今作の悪役という立ち位置になるのはこの人たちでしょうか。象牙の密猟を生業としている悪い奴ら(地上人)であり、偶然に天上界に送られてしまい、そこで捕らえられてしまうが、その後これまた偶然にもドラえもん・のび太グループと合流し、その2人を罠にはめて雲の王国を乗っ取った後、雲もどしガスで天上界の島1つを滅ぼすという、スケールのデカい悪事をやらかしております。
とは言え彼らにしてみれば、訳も分からず天上界に連れてこられた挙句極悪人扱いされ、前述のしずか・スネ夫・ジャイアングループによる裁判でコテンパンに断罪されりゃ、天上人憎んでしまうわと。彼らだって守るべきものや大切なものだってあるかもしれないのに、世界滅ぼすとか言われれば、なりふり構わず必死になってしまうわと。
彼らはあくまでも密猟者であり、世界を滅ぼすとかではない小悪党だった訳で、そんな彼らが島1つを滅ぼすのに躊躇しなくなってしまったのは、天上人からの差別や偏見、敵意によって、密猟者自身も天上人に対して差別や偏見、敵意を持ってしまったからではないかと思います。そもそも天上人もオープニングで地上界の無人島1つを、水爆実験のごとく沈めてますしね・・・
結局ドラえもんがこの争いに責任を取るように、自身の犠牲で雲の王国を崩壊させることで争いを終了したのですが、この争いで天上人が見たものは、崩壊した天上界の島や雲の王国の無残な光景、そしてこの争いで犠牲となったドラえもんに対して悲しんでいるのび太達でした。おそらく天上人はここで初めて自分たちが行おうとしていたノア計画のリアルな恐ろしさを実感したのではないでしょうか。最終的に他の惑星から来ていた植物星の大使がドラえもんを復活させて、天上人を説得してノア計画は中止という結末になるのですが、その説得内容は前述の裁判でしずかが話した内容とほぼ同じだったので、しゃべる人間によってここまで態度変えるかと昔は思ったものですが、今思えば天上人もノア計画の恐ろしさを感じてから、上げた拳の下ろしどころを探っていたのかなと。そこに第三者である植物星の偉い人の説得が入ったので、中止するのにちょうどいい理由ができたという感じなのかと。
昔はこの映画は環境保護を訴えた映画だと思っていましたが、それだけではなくむしろ、どうして戦争は起きてしまうのかというのを示した映画だったということが分かりました。初めは真っ当な正義であったものが暴走し、差別や偏見、敵意をもたらし、そしてそれらの感情を被った者たちの反発を生み、そこから争いが起き、お互い自分たちが正義だと信じているからこそ、無残な行為も行ってしまうという、人類の歴史に数多くある戦争の概略を表現したようなストーリーだったように思えます。
私個人としては、戦争をどうやったら止められるかというようなスケールの大きな話はできませんが、他者に対して大きな負の感情をぶつけることは、いずれその感情は自分に返ってくるということを、この映画の教訓にしたいなと思います。
長い感想になってしまったな・・・それだけこの映画の強いメッセージ性に響いたということでしょう。改めて子供向きじゃない映画だなあ。大人が見た方が楽しめる映画かもしれない。