Dead Flowers

ゲームのストーリーと思い出

たまには時事ネタを入れてみる。yahoo!を見てたらこんな記事があった。ドラクエ5の映画が大批判を受けたというニュース。

「ドラクエ5劇場版」ファンが心底落胆した理由 | 赤木智弘のゲーム一刀両断 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準


人気ゲームのドラクエ5を原作に映画化という、まあ間違いなくケチつけられるだろうなと思っていた映画でしたが、フタを開ければ予想以上のブーイングでビックリした。ラストの展開がゲームと違うところが大きな批判点となり、しかもドラクエ5とまるで関係のないものだったので、「思い出が汚された」「独りよがりはオリジナルの映画でやれ」「唐突で薄っぺらい」とまあボロクソ。

実際の映画を見ていないので詳しく論評を行うことはできませんが、この映画の酷評を見て、ゲームというのは小説や漫画、アニメ以上に思い入れが深くなるものなのかと思った。これが今回のテーマで。


小説や漫画、アニメは作り手が提示するストーリーをそのままなぞって進んでいきますが、ゲームの場合作り手はあくまで世界観や舞台を用意するだけで、どのように動いたり進めたりするのかはプレーヤー自身に委ねられる。なのでAというボスに苦戦する人がいれば、AではなくBというボスに苦戦する人もいる。20時間でクリアする人がいれば、80時間もかけてクリアする人もいる。つまりゲームする人それぞれが違うストーリーを持っていると言える。

昔どこかで見たのですが、ゼルダの伝説の製作スタッフだったと思う。「ゲームのストーリーは細かく決めなくても良い。プレーヤーが失敗したり成功したりした体験が、ストーリーを作っていくものだから」みたいなことを話していてすごく感銘を受けたのですが、まさにこのことだなと思った。


今回ドラクエ5の映画は、ドラクエ5をプレイした人がゲームの中で作り上げたストーリーを振り返る、思い出の写真アルバムを見るような形で見に行った人が多かったと思う。そこで写真アルバムにコーヒーをぶちまけるようなことをされたと思うと・・・

そう考えたら、見に行った人たちが怒ったのも分かるような気もする。



映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』公式サイト